ヘレスのフラメンコ・フェスティバルは例年2月末から3月初めにかけて開催される。開幕当初は寒い。2006年に到着した日は冷たい雨でピソでお湯を沸かそうにもマッチもライターもなくてプロパンガスを付けられず クラス登録の前に雨が降りしきる中 まず雑貨屋を探す羽目になった。
しかし2週目3月になると突然アフリカから暖かい風が吹いて来て春が訪れる。風に乗ってツバメが舞う。この季節が好きだ。

2012年は2週間朝昼クラス計4クラスを欲張った。
ホアキン・グリロのアレグリアス、ラファエル・カンパージョのタンゴ、ハビエル・ラト-レのタラント、アンドレス・ペーニャのロマンセ… グワッポ(いい男)の揃い踏みだ。

それぞれ一瞬の光景が蘇る。
ホアキンの何日目か あるパッソに皆苦戦してたら彼がこっちを差してやってみろ と言う。どうも私らしいのだが大勢いたし 素っ呆けていたら隣の人がやってくれた。素直な時期は過ぎたのだ。
アンドレスのクラス前に 直前に習ったハビエルのちょっと変わった足の形を復習していたら 脇でじっと見ていたアンドレスがその変化形 発展形を直後のクラスに取り入れていた!

ハビエル・ラト-レはその振付の才能にいつかは習ってみたいと思っていた。QUEENを大音響でかけてワォーミングアップした初日 隣の日本人の女の子と習ったばかりの振りを表現豊かに踊っていたら「オーディションみたいだな」とご満悦だった。
この2週目に息子が嫁(元生徒)と一緒に大阪からやって来た。
呑めない彼女がクラスの間広場で二人で呑んだ。5歳で連れて来た息子と28年経ってヘレスで吞めるなんて…と つい飲み過ぎ 
胃をやられてしまい翌日のクラスには腹巻状態 目ざといハビエルにみつかってしまった。触わんないでよ、ハビエル!

一番面白かったのは 粋でシャイなセビージャ男カンパージョ。
ここでも私のサバテアード(靴音)の響きが美しいと手本にされたし 男女で身体を触れ合わんばかりに押して行く練習ではタンゴ・アルヘンティーノでお手のもの カンパージョの方が恥ずかしそうにしていた。

この時習ったハビエルのタラントと カンパージョのタンゴで同じ年アルハムブラ・ライヴvol.1 で踊ったタラントを創りソレアにはホアキンとアンドレスからもらったものが入っている。

14/8/2022 記
後日談(7) ~~~ ホアキン・グリロ
           ラファエル・カンパージョ
           ハビエル・ラト-レ
           アンドレス・ペーニャ

日本に(ある期間)常駐しているカンタオール(唄い手)は たいてい日本人の踊り手と暮らしている。どっちが先か知らないが。

最初に頼んだのは1995年ラファと共演した時のアントニオ・デサンルーカルだ。初回の音合わせの時 大方振りを覚えていた私に感心していたが 彼自身の覚えは悪かった。彼の為に音合わせの回数を増やしていた最中 腰を痛め手術のためにスペインに帰るから公演で唄えない と突然言って来た。携帯もメールも無い時代交渉は彼女の電話を通してだったが 他のカンタオールを頼むからと言うだけ。今まで彼の為に重ねて来た音合わせ代が無になりまた最初から新しい人と始めなくてはならない。違約金を要求したが痛い思いをしているのに冷たいと怒っている 苦境は解るがというだけでひと言の詫びもない!で物別れ、1998年にサンル-カルで偶然会った時 お互い気まずい思いで挨拶した。

で 紹介されたのが クーロ・ヴァルデペーニャス。小柄で声も細く高いのだが 偶然ラファの叔父さんということでスムーズにいった。この後1997年江戸川総合文化会館での発表会と99年の五反田「ゆうぽうと」での公演でも唄ってもらっている。

一方ギタリストの方は最初 佑子さんのスタジオにいた伊藤茂さん北小金のカルチャーセンターではギタークラスをしていた杉本良一氏
他にも何人か若いギタリストを頼んだことがあるが 89年の柏での最初の発表会以後 奈奈さんのところで知り合った山崎まさしさんとその弟子だった今田央さんにお願いしている。頼りになる二人だ。

毎回の舞台の最初の音合わせの時は緊張する。頭の中の音に合わせ振り付けたものを実際に弾いて唄ってもらって上手く行くか?
コンパスや唄の長さが合っているかは勿論 各パートの移行がスムーズに出来るか? 速さは? ちゃんと盛り上がれるか?
創った曲が彼らに認められるか 毎回試験を受ける気分だ。
詰まらない曲だと思えば気も乗らないだろうし。

2004年5年辺りは舞台創りに集中していたように思う。DVDで観ると結構充実している。
04年のリリオホールで頼んだアントニオ・マイレーナはセヴィージャ出身の紳士だった。ソレアとタラントだったが
「エツコ このソレアとタラントは複雑な構成になっていて面白い。いい曲だ」と褒めてくれた。
翌年も頼んでいたのにスペインに帰ると言うので紹介されたのがアギラール・デ・ヘレス。ヘレス出身の愛称アルバロだ。かすれ声タイプで悪くなく 最初マイレーナに頼んでいたことでちょっと僻んでいたが シギリージャを踊ると「いい踊り手だ」と山崎さんたちに言っていたような・・・ 
その後しばらくアルバロと環さんに唄ってもらって2回目の札幌公演では踊りながらヘレスのブレリアを唄ってくれて受けていた。
が 訃報を聞いたのはもう十年も前になるか?
calle(街・通り)で倒れたと聞いた時 バルセロナで電車にひかれたというガウディのことを何故か思った。

生徒にも唄ってくれそうなカンタオールを紹介して と山崎さんに頼んだのがチェマだ。思ったより若そうだったが「エツコ このアレグリアスはアレグリアスらしくて好きだ」と言ってくれた。
関係をスムーズにするためでもあろうが日本人と違ってスペイン人はこういうことをちゃんと口にする。
16年と18年のアルハムブラで唄ってもらったが どっか湘南の方に引っ越して交通費が掛かるので1時間の料金を上げてくれ と言って来た。越したのはそっちの勝手でしょ と思い次回からは頼まないことにした。
スペイン人はお金にシビア!私はお金の交渉は苦手なのだ。

で予定していた20年のアルハムブラには 昔頼んでいたクーロ・ヴァルデペーニャスに声を掛けた。近くに住んでいると思ったし。
20年振りくらいに顔を合わせて お互い「若いね 変わらないね」と慰め合って初回音合わせをしたところで コロナが始まり クーロは年老いた母が心配とかで帰国したまま やむなく日本人を探して 既に頼んでいた ダニエル・リコさんの強い引きもあって永潟三貴生さんに引き受けてもらった次第 そしてこの22年5月にやっと開催出来た訳です。

15/8/2022 記  ~~~~~ カンタオールとギタリスト達